英国宗教事情 Religion in UK
賢者は宗教と政治の話はしないというが、馬鹿なので特にかまわない。七年前になるが、デイビッド・キャメロンが労働党から政権を取り返した時、イギリス人の嫁の友達がフェイスブックで保守党支持を表明したコメントがあった。労働党支持の嫁とは絶交状態になっている。イギリス人にとって何党を支持しているかとと同様、宗教の話もまたセンシティブな話題である。
当時娘は五歳になり、現地の小学校のイヤーワンに通っていた。ナーサリーから数えるとすでに二年以上になる。友達も同じクラス、別のクラスにもいて、ある程度は社交性も備えいるようである。今年の彼女の誕生日にも何人か友達を呼んだが、彼女の親友であった女の子はこなかった。宗教上の理由で誕生日を祝えないということだった。そうゆう宗派もあるので私は驚いた。
何か宗教を信じていますかといわれても自身がもてない。出身の田舎ではある宗派が強く生き残っているが、特に私は信者ではない。光栄の「信長の野望」でいえば、一向一揆が頻発し、治めずららく、あまり統治したくないエリアと言えば察して頂けるかもしれない。
今は一か月に一回、行くか行かないのペースでアングリカンチャーチの教会に通っている。教会に通い出したのは、嫁の中学校の時の先生が牧師をしていることがきっかけだが、娘がまだ生まれて間もなくの時に、教会が催しているプレイグループに参加していたからである。プレイグループとはナーサリーの入学前、新生児から二歳までが通常対象年齢で、赤ちゃんと保護者が集い、歌を歌ったり、いっしょに遊ばせたりするチャリティーグループだ。通常、二時間程度で終わり、子供にとっても新生児をもった保護者にとってもこの二時間が休憩の場になり、他の子どもをもつ母親とコーヒーを飲んで、ビスケットを食べたりしてリラックス出来るコミュニティーなのだ。
プレイグループは教会ではなくても、チルドレンセンターや、図書館でもやっているが、この教会系のプレイグループは体育館も広く、過ごしやすい。また明らかにクリスチャンじゃない中東系、中国系の人たちも通っており、敷居が低くて良い。そのつながりで、娘もそのチルドレンセンターで友達も何人か出来、行事の際にも教会にいくことになった。実は打算的に教会通いをしていただけだった。英国国教会系の小学校にいれるために、牧師からの推薦状欲しさで通っていたのだ。結果として英国国教会系の小学校からオファーをもらったにもかかわらず、行かなかった話は前にも書いたのでここでは割愛する。ただ今後のセカンダリースクールの娘の選択に、牧師の手紙が必要になる可能性が高いので、顔を忘れられない程度で、クリスマスなど普通に楽しいイベントには参加しているのだ。私がキリスト教に対いする考え方というと「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン君と同程度で、イエスキリストに対しては尊敬の念を抱くが、その後に出てくる使徒に関してはうざいなと思う程度である。
トッテナムコートロードには、宇宙人がやってきて、その宗教の信者ではない以外のものは撲滅されるという裏教義があるとかないとかの噂がある教義の支店がファーストフードショップに混ざって普通にある。イスラム教の敬虔なる若者の信者は、一日に五回もメッカにお祈りの時間をスマホのアプリを使ってお祈りの時間を確認している。
私の私見だが、新興宗教を信じるイギリス人の若者は大変真面目に生活し、しっかりした職を就いているというイメージがある。空飛ぶスパゲッティーモンスター教(スパモン教)のようなインテリジェント・デザインに反するパロディ宗教が出てくる現在、自分の立ち位置はどこにあるのか、何を信じるかを迫られているようにも思える。