あやかイギリスでカフェを運営しています。賃貸です。地下の倉庫から湿気が出てきました。修繕する義務はテナントですか、それとも家主ですか。
契約書を読んでみないとわかりません。契約の仕方によって、修繕義務の責任の所在が異なります。
英国における商業用不動産の取引や管理において、もっとも中核となるのがリース契約です。
フリーホールド(自由保有権)とは異なり、リースホールド(借地借家権)では、家主と借主の間で取り交わされる約束事が物件の価値や利用方法を決定づけます。
これらの約束事は法的に「コベナント(誓約条項)」と呼ばれ、証書の中に記される法的拘束力のある義務です。
不動産実務に携わる者にとって、リースに何が書かれているか、あるいは書かれていなくても何が法的に暗示されるかを理解することは極めて重要です。
本記事では、英国の商業物件リースにおける明示的条項と黙示的条項の複雑な世界を紐解いていきます。
あやかさんのご質問に関しましては最後にお答えします。
四つの商業リースのパターン


まず理解すべきは、英国の商業リースには決まった標準書式が存在しないという点です。しかし、修繕や保険の責任範囲によって、実務上いくつかの典型的なパターンに分類されます。
Full repairing and insuring lease(完全修繕・保険リース)
これは家主にとって非常に有利な形態であり、建物の内部および外部のすべての修繕責任、さらには保険料の負担までテナントが負うことになります。ショッピングセンターのような複数のテナントが入居する建物では、家主が修繕や保険の手配を行いますが、その費用はサービスチャージとしてテナントから回収されるため、実質的にはFRIリースと同じ効果を持ちます。
一方で、サービス付きオフィスなどで見られる非修繕リースや、内部の修繕のみを借主が負担するIRリースなども存在しますが、これらは主流ではありません。FRIリースが選ばれる理由は明確で、家主が投資としての不動産価値を維持するコストとリスクを最小限に抑えられるからです。
Internal repairing and insuring leases(内部修繕・保険リース)
特徴はテナント は、占有エリアの内部セクションの修繕のみに責任を持ちますが、建物の保険料(または家主の建具・備品の保険カバー)の手配や支払いについても責任を負います。家主の役割: 通常、建物の「外部」の修繕責任は家主が負います。
テナントは、建物や家主の備品・建具(Fixtures and fittings)をカバーするための保険の手配・支払い、あるいは保険料の負担(Paying for the insurance premium)についても責任を負います。
Internal repairing leases (内部修繕リース)
テナントは、占有しているユニットの内部部分の修繕のみに責任を負います。家主は建物の「外部」の修繕は家主の責任となります。
Non-repairing leases (非修繕リース)
このタイプは珍しいですが、テナントは内部・外部を問わず、修繕の責任を一切負いません。通常、サービス付きオフィス(Serviced office)の宿泊施設などで見られる形態です。
家主の明示的条項:修繕とサービスチャージの現実


家主がリース契約書で明示的に約束することは、テナントに比べて少ない傾向にあります。主に、物件を修繕することや保険をかけることが挙げられますが、これには注意が必要です。
複数テナントが入居する物件では、家主が共用部分の維持管理や構造部分の修繕を行いますが、これらの費用はサービスチャージ条項を通じてテナントに転嫁されます。ここで問題となるのが、その費用の配分方法です。一般的には占有面積や支払賃料に基づいて配分されますが、以前よく使われていた課税評価額に基づく配分は、現在RICS(英国王立勅許鑑定士協会)によって推奨されていません。
また、保険に関しても、家主が手配してテナントが費用を負担するのが一般的ですが、万が一建物が破壊された場合、リース契約に再建義務が明記されていない限り、家主には保険金を使って建物を元通りにする義務がないという点は驚きかもしれません。したがって、テナント側は再建に関する条項がしっかりと含まれているかを確認する必要があります。
RICSとは、Royal Institution of Chartered Surveyors(英国王立勅許鑑定士協会)のことです。
テナントの明示的条項:支払いや使用に関する厳格な制約


テナント側の義務は多岐にわたります。賃料の支払いは基本中の基本ですが、英国の古いリースでは四半期ごとの支払日(クォーターデイ)が伝統的に設定されてきました。しかし近年では、キャッシュフロー管理の観点から月払いを希望する小売業者のテナントも増えています。
修繕に関しては、テナントは物件を良好かつ実質的な修繕状態に保つ義務を負います。これは単に壊れた箇所を直すだけでなく、定期的な塗装や装飾の更新も含まれることが多く、使用される塗料の色や回数まで指定されることも珍しくありません。
さらに重要なのが、物件の変更や改造に関する条項です。通常、リース契約では家主の同意なしに変更を加えることを禁止しています。しかし、ここで1927年借地借家法の第19条が重要な役割を果たします。もしリース契約が家主の同意を条件として変更を認めている場合、法律は家主がその同意を不当に保留してはならないという条件を自動的に読み込みます。
ここで区別しなければならないのは、単なる変更と改良の違いです。テナントの視点から見て物件の価値を高めるものは改良とみなされ、たとえ家主がそう思わなくても、合理的な理由なく同意を拒否することはできません。過去の判例では、二つの店舗を一つに統合することが、たとえ賃貸価値を下げる可能性があっても、テナントにとっては改良であると判断されました。
物件の使用用途を定める条項も重要です。使用目的が狭く限定されている場合、将来的にそのリースを他者に譲渡する際の市場が狭まり、結果として賃料評価に影響を与える可能性があります。家主が使用目的の変更に同意しない場合、テナントはその拒否が不合理であることを証明しなければなりませんが、これは実務上かなりハードルの高い作業となります。
契約書にない約束:黙示的条項の法的効力


リース契約書に明記されていなくても、法律や慣習によって当然に含まれるとされる条項があります。これを黙示的条項と呼びます。
家主側の黙示的義務として最も有名なのが、平穏享有権(quiet enjoyment)です。これは静かに過ごすという意味ではなく、家主や他の者から干渉されずに物件を平和的に占有する権利を指します。家主が正当な理由なく頻繁に立ち入ったり、修繕を口実に借主の営業を妨害したりすることは、この権利の侵害となります。
また、授与からの逸脱禁止という原則もあります。これは、家主が借主に権利を与えた後で、その権利行使を妨げるような行為をしてはならないというものです。例えば、ある判例では、家主が建物の通路に売店を設置したことで既存テナントの営業が妨害されたとして、家主の義務違反が認められました。
修繕に関しても、リース契約に明記がない場合でも、ビジネスの有効性を保つために必要であれば、裁判所が家主に修繕義務を認めることがあります。電気配線の不備でカフェが営業できなくなった事例では、契約書の文言に不備があっても、家主には電気設備を安全に保つ黙示の義務があると判断されました。
一方、テナント側にも黙示的義務があります。それはテナントらしい方法で振る舞うという義務です。著名なデニング卿の言葉を借りれば、借主は善良な管理者のように、冬場に配管が凍結しないよう水を抜いたり、煙突を掃除したりするような、小規模な日常のケアを行うべきだとされています。
さらに、テナントはウェイスト(毀損)を行ってはなりません。これには、建物を物理的に破壊する積極的毀損だけでなく、メンテナンスを怠って建物を劣化させる消極的毀損も含まれます。
毀損(きそん)Waste とは、テナントが土地の性質を、良くも悪くも変更するあらゆる行為のことを指します。 より簡単に言えば、物件を占有する権利を持つテナントによる、物件の不合理または不適切な使用(unreasonable or improper useのことです。通常、テナントにはこれを行わないという黙示的条項(Implied covenant)があります。
リースの誓約条項の結論


英国の商業不動産リースは、書かれた言葉以上の意味を持つ複雑な法的文書です。FRIリースにおける借主の重い負担、サービスチャージの配分を巡る議論、そして1927年法がもたらす変更許可への影響など、実務的なポイントは多岐にわたります。また、契約書に書かれていない黙示的条項が、予期せぬトラブルの解決の糸口になることもあります。家主と借主の双方が、明示された義務と暗黙の了解を正しく理解することが、健全な不動産賃貸借関係の構築には不可欠です。
カフェの地下から湿気が発生したような場合の責任の所在


ご質問にあったような地下から湿気が発生したような場合、責任の所在が大家かテナントかは契約書のタイプにより違います。建物の基礎(foundations)や構造(structure)に関わる問題)を想定し、4つの契約形態ごとの大家とテナントの責任の所在を解説します。
地下からの湿気は通常、建物の「外部」または「主要構造(基礎)」の問題とみなされます。内部修繕リース(IR lease)における大家の典型的な条項として、建物の主要構造、特に基礎(foundations)を良好な修繕状態に保つこと」という例が挙げられています。これを踏まえて各契約を見ていきます。
Full repairing and insuring leases (完全修繕・保険リース)の場合
テナントの責任: 最も重い責任を負います。FRIリースでは、すべての修繕責任がテナントにかかります。これには「内部」だけでなく「外部」も含まれるため、地下からの湿気が基礎部分の欠陥によるものであっても、原則としてテナントがその修繕を行う(または費用を負担する)責任があります。
大家の責任: 基本的に修繕義務はありません。ただし、ショッピングセンターのような複数テナントビル(Multi-let buildings)の場合(いわゆる実質的FRIリース)、大家が工事の手配を行うことがありますが、その費用はサービスチャージ(Service charge)を通じてテナントに全額請求されます。
Internal repairing and insuring leases (内部修繕・保険リース)の場合
テナントの責任: テナントは占有エリアの「内部セクション(internal sections)」の修繕にのみ責任を負います。したがって、湿気によって剥がれた店内の壁紙や塗装などはテナントが直す必要がありますが、湿気の発生源である地下や基礎の修繕を行う責任はありません。ただし、建物の保険料(insurance premium)を負担する責任はあります。
大家の責任: 通常、建物の「外部(external repairs)」に対する責任を負います。地下からの湿気は外部・構造上の問題であるため、その根本原因の修繕は大家が行うことになります。
Internal repairing leases (内部修繕リース)の場合
テナントの責任: テナントは占有ユニットの「内部部分(internal parts)」の修繕にのみ責任を負います。IRIリースと同様、湿気の原因(地下・基礎)そのものを直す責任はありません。
大家の責任: 建物の外部(external repairs)は大家の責任です。資料にあるように、典型的なIRリースでは、大家は「基礎(foundations)」を含む建物の主要構造を修繕する明示的な条項を負うため、地下からの湿気対策は大家の義務となります。
Non-repairing leases (非修繕リース)の場合
テナントの責任: 一切の修繕責任を負いません。内部、外部を問わず責任がないため、湿気の原因除去はもちろん、それによって生じた内部の損害についても修繕する義務はありません。
大家の責任: 物件の維持管理に関するすべての責任を負います。主にサービス付きオフィスなどで見られる形態です。
カフェの地下から湿気が発生したような場合の責任の所在 まとめ
地下からの湿気(基礎・構造の問題)への対応:
| 契約タイプ | 根本原因(地下・基礎)の修繕責任者 | 費用の最終負担者 |
|---|---|---|
| FRI (完全修繕) | テナント (または大家が代行) | テナント (直接またはサービスチャージ) |
| IRI (内部修繕・保険) | 大家 | 大家 (テナントは保険料のみ負担) |
| IR (内部修繕) | 大家 | 大家 |
| Non-repairing (非修繕) | 大家 | 大家 |
IRIおよびIRリースにおいて、テナントは「内部」の修繕義務を負いますが、その損傷の原因が大家の責任範囲(外部・基礎)にある場合、大家が根本原因を直した上で内部の損傷もカバーすべきか、あるいは内部のダメージはテナント負担になるかは、具体的なリースの文言や原因の性質(単なる老朽化か、構造的欠陥かなど)に依存する場合があります。しかし、湿気の発生源である「基礎部分」の修理については、FRI以外は大家の責任となります。
理解度確認クイズ(全10問)


第1問 英国の商業用不動産リースにおいて、家主がもっとも好むとされる、修繕や保険の全責任を借主が負うリース形態は何と呼ばれますか?
- A. IRリース
- B. IRIリース
- C. FRIリース
- D. 非修繕リース
第2問 RICSの専門職声明(2019年発効)によると、サービスチャージの配分方法として、もはや適切ではないと示唆されているものはどれですか?
- A. 占有面積
- B. 課税評価額(Rateable value)
- C. 支払賃料
- D. リースに記載された固定割合
第3問 伝統的な英国のリースにおいて、賃料の支払い日(Quarter days)に含まれない日付はどれですか?
- A. 3月25日
- B. 6月24日
- C. 8月31日
- D. 12月25日
第4問 1927年借地借家法第19条(2)に関連して、借主が行う「改良(Improvement)」の判断基準について正しい記述はどれですか?
- A. 家主の視点から見て資産価値が上がるものでなければならない
- B. 借主の視点から見て改良であれば、家主の利益を損なう可能性があっても改良とみなされる
- C. 建物の構造を変更しない場合に限り改良とみなされる
- D. 常に第三者の鑑定人の評価が必要である
第5問 リース契約において、家主が建物の再建義務を負うのはどのような場合ですか?
- A. 火災保険に加入している場合すべて
- B. 建物が全壊した場合すべて
- C. 借主が過失なく損害を被った場合
- D. リース契約に再建を行う旨の明示的条項がある場合
第6問 「平穏享有権(Quiet enjoyment)」という黙示的条項の法的な意味として最も適切なものはどれですか?
- A. 物件周辺で騒音を立てないこと
- B. 家主や他者からの干渉なしに物件を平和的に占有できること
- C. 借主が近隣住民に対して静かに過ごす義務
- D. 夜間の営業を禁止すること
第7問 借主の黙示的義務である「借主らしい方法で振る舞う(Tenant-like manner)」に含まれる行為の例として、デニング卿が挙げたものはどれですか?
- A. 毎年専門業者による清掃を行う
- B. 屋根の構造的な修理を行う
- C. 冬場に不在にする際、ボイラーの水を抜く
- D. 建物の火災保険料を直接保険会社に支払う
第8問 法的な「ウェイスト(毀損)」の種類において、家主の同意なしに行われるが、実際には土地を改良する変更を指すものはどれですか?
- A. 積極的毀損(Voluntary waste)
- B. 改良的毀損(Ameliorating waste)
- C. 消極的毀損(Permissive waste)
- D. 衡平法上の毀損(Equitable waste)
第9問 判例 Oceanic Village Ltd v Shirayama Shokusan Co Ltd において、家主が通路に売店を設置したことが違反とされた原則は何ですか?
- A. 平穏享有権の侵害
- B. 修繕義務の不履行
- C. 授与からの逸脱(Derogation from grant)
- D. 契約の不当な破棄
第10問 1927年借地借家法において、使用用途の変更(User clause)に関して正しい記述はどれですか?
- A. 家主は必ず合理的な理由を示さなければ同意を拒否できない
- B. リースに「家主の同意が必要」とだけある場合、家主は不合理な理由でも拒否できる
- C. 使用用途の変更は借主の自由であり、家主の同意は不要である
- D. 裁判所は家主に対して強制的に同意させる権限を持たない
クイズの解答
1. C
2. B
3. C
4. B
5. D
6. B
7. C
8. B
9. C
10. B









